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about Me.

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 園部良/Ryo Sonobe
  

Brief History

 

​端緒 Pic.1   Pic.2

10代の終わり頃、ふとした出会いがきっかけで、当時はとても珍しかったスティールパン

(ハンドパンの原型)の輸入レコードを聴く機会がありました。

その摩訶不思議な美しい音色が、錆びついたドラム缶から生み出されるという

ギャップに一瞬で心を奪われ、いつかスティールパンを自分でも製作してみたい、という

ワクワクした思いを心に抱く様になりました。

 

10代~20代前半にかけてよく聴いていた音楽/ 国内 : 中島みゆき、高橋ユキヒロ、坂本龍一、Plastics、ヒカシュー、大瀧詠一、コンセントピックス、じゃがたら、割礼、登川誠仁、初期のエレファントカシマシ、須山久美子、戸川純、などなど

/ 海外 : Talking Heads, Big Audio Dynamite,Pink Floyd,The Smiths, The Slits, Nico, Tom Waits, King Crimson,The James, Nick Cave,CocteauTwins,V.Underground,Traffic,

Robert Wyatt, L.K.J.,Bob Marley, Prince Fari, Massive Attack, Brigitte Fontaine, Lounge Lizards, Albert Ayler, FENから流れて来た様々な音楽, 世界の民族音楽など

 

18頃から20歳頃によく読んでいた本 : 中上健次、大江健三郎、三島由紀夫、吉行淳之介、

開高健、沢木耕太郎、藤原新也、などなど

18頃から20歳頃よく観ていた映画 : NYカルトムービー群,デイヴィッドリンチ,

ジム ジャームッシュ,ルイ マル,ヴィム ヴェンダース,アレハンドロ ホドロフスキー,エリック ロメール,ArtTheaterGuildの作品群,などなど

渡航 Pic
<小学校>(かなり右寄りな教育方針を打ち立てた学校だったので

強権抑圧、そして教職員の偽善的態度に興醒めしながら日々を過ごす)

<中学校>(暴力是認の学校。中2頃から悪友と連れ立っては

毎夜の如く街中を深夜徘徊して、正に尾崎豊よろしく、

満たされぬ欲求の憂さ晴らしをしていた)

<高校>(大した意味もなく中学校の担任が勧めた学校には絶対に行かない、

と悪友たちと結託して反抗した為、悪たれ連中が集まる学校へ入学。

結局、学校を300日くらい休み、危うく留年しそうになる。

高校3年の暮れ、一度くらいは何者にも束縛されない学生時代を

自由に過ごしてみたいとの切なる想いから急遽、大学への進学を決意する。

形の無い儚い夢を抱いて大学に進学はしたが、世はバブル経済絶頂期。

周囲の学生達といえば浮かれた太平の世をそのまま享受し謳歌する始末。

私はといえば、その軽薄極まる世相には一切馴染めずに、

何かやりたいけど何も見つからずといった、

陰々滅々の生活を送っていました。

 

そんな虚無な日常からなんとか脱出したいとの想いが募りに募り、

'90年の夏、かねてから憧れを抱いていたスティールパン発祥の島国、

カリブ海は南端に位置するトリニダード&トバゴ共和国へ行ってみる

事にしたのでした。(因みにスティールパンはハンドパンの原型です)

 

(エッセイ)トリニダード・トバゴへゆくと決めた!

 

(エッセイ)成田〜ロス〜マイアミ〜トリニダード

計24時間余の空旅

現地では、見るもの聞くもの、全てが新鮮ですっかり心が

晴れてゆきました。

スティールパン職人のヤードにも遊びに行ったりして、

とても刺激的な毎日でしたが、突然のクーデター勃発により

這々の態で帰国の途につく。

(エッセイ)トリニダード島からトバゴ島へ

そして帰国日前日、まさかのクーデター勃発

 

'92年の春には、メキシコ〜グアテマラ滞在を経て再び

トリニダードへ渡航。

滞在中は、スティールパンの製作方法を学びたいとの一心で、ひたすら

パンチューナー(スティールパン製作人)の工房を訪ね歩きました。

行く先々で煙たがられ、何度も門前払いを食らいましたが、

無理やりドラム缶を工房に担ぎ込んで、とあるパンチューナーの

見習いにさせてもらい、一連の手ほどきを受けることは叶いました。

帰国後、日本初のパンチューナーになることを目指して何度も

スティールパン製作を試みるのですが、どうしても思い描く様な

音が出て来ません。

思い悩んだ挙句、楽器が作れないならば、現地で培った人脈を頼って

スティールパン輸入販売業を始めてみてはどうだろうか、と思いつき、

'92年の暮れにスティールドラム専門店 "PAN RISING"を起業しました。

(開業の記事が日経新聞に掲載されると、テレビやラジオ、

大手各新聞社、カルチャー雑誌から教育雑誌等の

多数のメディアから取材を受け、益々販売業に励む)

転機  Pic.

'94年の春、とある高校の吹奏楽部から大量の注文を受けたのですが、

現地トリニダードから送られてきたSteelpanのほとんどは不良品でした。

交換品を再注文しても送られて来る商品は、輪を掛けてひどい

不良品という始末。。。

あらゆる方面から交換品を取り寄せ続けて一年余りが過ぎ、

予算も全て使い切った頃、

この不良品を直せる人物を呼んでみてはどうか、という提案が

学校側からありました。

どうしたものかと迷いましたが、この渦中に偶然知り合った

トリニダード出身で

当時、宮崎県に住んでいたスティールパンプレイヤーの

Mannish相談してみた所、

彼は、Denzil"Dimes"Fernandezという腕利きの

パンチューナーを私に紹介してくれました。

ほどなく来日したDenzilは、すべての不良品を完璧にリチューンしてくれて、

このトラブルは無事解決することが出来ました。

その見事な仕事ぶりに感動した私は、迷わず彼に師事することを決め、

自宅の玄関の上り框を取り外して作業場に変え、彼からスティールパンの

チューニング理論を実技を交えながら本格的に学ぶ事となリました。

彼のチューニングコースを実技と共に受ける中で、スティールパン製作には

確立した倍音理論があることが分かりました。

その時、私は将来は、プロのスティールパン製作家になることを決意しました。

 

以降、​千葉(八千代)〜 神奈川(藤沢〜相模原)と工房を移転し、

2008年からは東京都大田区拠点を構えてスティールパンの

製作販売/修理業を続ける。SONOBE STEELPAN​               

 

<主なTopics>

'99年 と05年、香港の私立小学校(何壽南小學)からの招聘を受け

スティールパンのチューニングに赴く傍ら

現地のドラム缶を使ってスティールパンを製作する。Pic.

'01年、お台場MegaWebにて自作のスティールパンが展示される。

'02年、国立台北芸術大学 (TNUA)からの招聘を受け

スティールパンのチューニングに赴く傍ら現地のドラム缶を使って

スティールパン(テナーパン)を製作する。

('24年、同校にハンドパン F Equinoxを納品)

'2000年〜 茅ヶ崎市にあるアレセイア湘南中学校

非常勤講師となり、足掛け14年間に渡り

スティールパン製作の授業(総合授業)を担当する。

 

'11年 大田の工匠100人に選出される。

 

2度目の転機 

2012年の夏、突如、携帯に一本の電話がありました。

"園部さん、知ってますか? 鉄板の振動には

ピザモードとドーナツモードがあるんですよ"

と、いきなり意味不明な説明が。。。

詳しく話を聞いてみると、電話の主は広島大学 生物生産学部の教授で、

詰まる所、鉄板を使用して特定周波数の振動実験をして欲しい、

という研究依頼でした。

その数日後、私のアトリエを訪れた教授から手渡された設計図を見た時、

私は少なからず驚愕しました。あろう事か、

それはハンドパンのフォルムに極似していたのです。

 

その日以降、スティールパン製作は一旦中止し、

大学機関から研究費を頂きつつ、ひたすら鉄板の

振動実験をするという日々を過ごす事になり、

協和音、非協和音、整、非整数倍音などという

未知なる世界にどっぷりと浸かることになりました。

関連本 : 音律と音階の科学(小方 厚 教授)

時を同じくして、櫻井先生が主宰する

植物から生まれた音階を実現する楽器開発グループにも加わえて

頂くことになり、コアメンバーとして2022年現在も

陰ながら携わっています。

(メンバーの一員である音楽家灰野敬二曰く、

ポリゴノーラこそは僕の為にある楽器です)

​この経験が大きな契機となり、2014年からはスティールパン

製作販売業務を完全廃業し、ハンドパン製作業へ完全にシフトして

現在に至っています。

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